他人と自分を差別化したい心
皆さん、こんにちは。
ソスクと申します^_^
いまいる土地がものすごい大雪で、朝起きたら真っ白どころかもう冬の山奥みたいな風景でした。
雪かきって最初はなかなか楽しいですよね(笑)
でもすぐ終わりそうとおもいきや意外と進捗が悪くて、ちょっとずつ疲れてきたりして。
そんな雪かきに精を出しました。
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昨日まで、僕たちが
自分を自分だと思う理由や仕組み
について考えてきています。
今日は別な話にしようかとも思いましたが、この流れでいったん落ち着きどころを見つけておいたほうがいいかなぁとも思ったので、今日も続けてみますね。
皆さんはどう思いますか?
どう感じますか?
なぜ僕たちは、自分のことを自分と思うのでしょう。
例えば小さい頃はどうだったでしょうか。
自分のことを「〇〇ちゃん」と名前で呼んでいた人も多いのではないかと思います。
だけどこの場合も他人を呼ぶつもりでなく、やはり自分のことを指している感じもしますし、
とはいえ、大人になってからよりも「自分」という意識は弱かったようにも思えます。
本当によくわからないのですが、もしかすると僕たちは「自分」というものが存在しないと怖いのでしょうか?
これまでにやってきたことが終わる、なくなるのが怖いから、「自分」というものに集約させて、主体みたいなものを作りたがるのでしょうか。
ごく一般的に、小さい頃は恐れがなく柔軟で、歳を取るほど頑なになるというのはこれに関連しているような気もしますね。
あと、かつて間違ったことをしたという記憶がある場合、あれは自分じゃなかった、若かった、と言うこともありますよね。
これは、いまの「自分」はそう間違ってはいないという表明かもしれません。
あるいは、「他人」との差別化、区別がないと嫌なのかもしれません。
だから、おれはこういうやつで、こういうことができて、これこれを目指してるぞ、と思いたいのでしょうか。
そうすると、やっぱりさらに突っ込んで、僕たちが上のような考え方をするのはなぜか
という疑問につながります。
今日テレビを見ていたら、ある子どもとその親が、
「何でもいいから、ひとつのことをやり抜いて、一番になりたい、なってほしい」
という趣旨のことを話していました。
これはどういう心の働きなのでしょうか。
何か熱中していることがあって、その何か具体的な活動を徹底してやりたい、ということとは微妙に違うと思うのですけど、皆さんはどう思いますか?
順位の話をし始めるということは、やはり他の誰かよりも上になりたいという気持ちの表れみたいですよね。
どうして他人より上になりたいのか。
他人より、というのは他人と違って、という意味ですから、やはりどうしてそんな風に差別化したいのか。
こういう気持ちになるとき、その他人について僕たちはどう考えているのでしょう?
自分にもよくよく問いかけているのですが、僕たちは頑張って試験に合格し、オーディションに受かり、何かを得て、将来一番(またはせめて二番か三番)になることを目指します。
このとき、他の人について僕たちはどんな想定をしているでしょう?
たぶん他の人を蹴落とすという発想をする方はあまりいないとは思いますけども(笑)
でも、僕が何か目標とかを考えるとき、そういえば他の人について特に何も考えてなかったかもなぁと振り返ったりしています。
これはもちろん他の人をこそ大事にすべきだ、という意味ではまったくありませんよ^ ^
う〜ん、やはり「人間」という名称だけあって、お互いとの関係でしか僕たちは物事を考えられないということなのでしょうか。
それはそうだとして、なぜ順位や、自分こそが、という発想になるのでしょう……
そうするもんだという思い込み?
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……本日もお読みいただき、どうもありがとうございました^ - ^
もうかなり訳がわからなくなってきました(笑)いろんなことが絡み合っている気がします。
その中心に「自分」というものがあるとおもうのですけど、
かなり迫っていると思うと、するっと求めていたものが手元から流れていってしまう感じです。
一度この流れは打ち切って、次回はまた切り口を変えて進んでみたいと思います。
ごちゃごちゃしたお話にお付き合いいただき、改めて本当に感謝します(^^)
本音対話ももちろん募集中です!
以下の記事を見てみてくださいね。
それでは、またお会いしましょう。
ソスク