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「色」目の使い手

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皆さん,こんにちは。

 

ソスクと申します(*'▽')

 

 

コタツってあったかいですよね~。

 

足元があったかいから,部屋をあまり暑くしなくても済むので,電気代も節約になる気がします。

 

ただ,最近の気づきとしては,コタツで眠ると身体が乾燥してしまうなら,長時間コタツで何か作業をしているだけでも身体って乾くんじゃないか,ということです。

 

(当たり前すぎ?笑)

 

 

重要なのはコタツ利用の有無にかかわらず,水分補給ということでしょうか(^^

 

 

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昨日は,このブログの趣旨である,

 

「人間同士が真に仲良く生きる道」

 

としてどんなものがあるかなぁ,ということを考えていました。

 

 

そして,赤ちゃんの視線と大人の視線の違いへの着眼から,「真の関係」というものはどういうものなのか,という話に展開したわけです。

 

 

その話の中で,なぜ大人の視線や目つきには色が載っている感じがするのか,その「色」はどこから来るのか? という疑問が生じました。

 

今日はここから進めてみましょう。

 

 

皆さんはどう思いますか?

 

 

まず,この「色」というものを具体的に捉えてみる必要がありそうですね。

 

僕がこの表現を使った感覚としては,

 

 

・(昨日も出ましたが)相手を探るような眼

 

・見る対象を憐れむ目つき

 

・同じく慈しむまなざし

 

・疑う目つき

 

・驚いた感じ

 

 

などなどいろいろな目の表情を僕たちはすると思いますが,とりわけ大人の場合,

 

 

・広い意味で異物として見る目線

 

 

というものがあるような気がするのです。

 

すでにあるものと異なるものを,違和感を持って見つめる態度,ともいえるかもしれません。

 

すごく単純化して,デフォルメしていえば,

 

 

「あれ,これは何だろう?」というのではなく,

 

「一体なんだこいつは?」という感じ(わかりにくいでしょうか笑)。

 

 

ここまであからさまでなくとも,特に都会に住んでいる方は,電車や街の中のいたるところで何となく感じたことがあるのではないでしょうか。

 

 

それで,こういう視線,態度を多くの大人が有するようになるのはなぜなのでしょう?

 

つまり,大人の視線の持つ「色」はどこから来ているのでしょう?

 

 

皆さんは何か思い当たりますか?

 

 

逆に赤ちゃんの視線がまっさらであるのはなぜなのでしょう?

 

これは,ある意味で恐れがないからということがひとつあるかもしれません。

 

赤ちゃんは出刃包丁なんて見たことがないので,出刃包丁の切っ先をまっすぐ突きつけられても,小さな手を伸ばして触ろうとするでしょう。

 

 

それを見たお母さんお父さん,周りの大人が,

 

「危ない! 触っちゃダメ!(゚д゚)!」

 

と慌てて制止すると,その大きな声に驚いて赤ちゃんが泣いてしまう……なんてこともあるかもしれません。

 

あるいは,実際に触ってしまって,手が切れて,痛くて泣いちゃうという流れもあるでしょう。

 

 

こうして,その赤ちゃんは,出刃包丁が切れ味鋭くて触ったら痛いということを学習するわけですよね。

 

 次に出刃包丁が突きつけられたら,この赤ちゃんはまっさらな目で包丁を見ることなんてできず,恐怖のまなざしを向けるでしょう。

 

 

この仕組みが,ひとつ大人の目線に色がつく理由かもしれません。

 

僕たちはいろいろ経験したことを記憶していって,それに照らして目の前の物事を認識し,判断するようになります。

 

 

・前に殴ってきた相手を見るときにはちょっとおびえちゃうし,

 

・恋人を見守る瞳はどこまでも温かで(……すよね?笑),

 

・過去問でやったのと似た問題が出ればもうバシバシ解けるし,

 

などなど……

 

 

こんな感じで,僕たちはさまざま経験したことを積み重ねていって,それを活用して生きるので,それらの経験から予想される物事に応じた「色」メガネでものを見るということなのでしょうか。

 

 

都会の人についていえば,毎朝の満員電車通勤でもみくちゃにされたりするので,お互いにちょっと邪魔だなあというメガネを持っているということなのかもしれません。

 

 

 そこで,「真の関係」という話に戻るのですが,僕たちがそんな風に色メガネで物事や他人を見るとき,現実にあるものを見ているのでしょうか?

 

これってなかなか奥が深い感じがしませんか?

 

色メガネで人間同士が互いを見ているだけならば,人間は全然直接に関わっていないような気もするのですが,どう思いますか?

 

 

以前,「立ち位置」という言葉について触れたときにも書いた気がしますが,僕たちの「関係」というものは,

 

 

オレのメガネで見るとオマエはこう見えるよ~,だからオレはオマエにこう言うぜ,

 

私のメガネからはこう見えるよ~,だから私はアナタにこう言います~,

 

 

という,見え方とそれに対しての応答というものだけなのでしょうか。

 

 

ん~,難しいところです。

 

 

 今日は「色」が生じてくる理由として,経験というものをまず取り上げましたが,他にもいろいろと理由はありそうですね。

 

これについてもまたいずれ考えてみることにしましょう。

 

 

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お読みくださいましてどうもありがとうございました(^^)

 

やはりコタツに入って記事を書いていると,のどが渇きます(笑)

 

さほど何か飲みたい気分ではなくても,ちょっとお茶とか入れて飲んでみると,意外とごくごくと飲み切ってしまいますよ。

 

 

皆さんも,この時期は乾燥にお気を付けください(^^♪

 

 

本音対話も募集しています。

 

もしよろしければ,以下の記事をご覧くださいね(^_-)-☆

 

soskksos.hateblo.jp

 

 

それでは,失礼します!

 

ソスク