僕たちが仕事・学業に与えている意味
皆さん、こんにちは^_^
ソスクと申します。
それにしても、貴乃花親方はなぜああいうオシャレな感じなのでしょう。
突然ですけど(笑)
お母さんの影響もあるような気がしますよね。
最近はかなりこの大相撲関連のニュースがあって、去年の九州場所からこれから始まる初場所までの間も、力士の顔をちょくちょく見ることができました。
普段は場所が終わるといったん相撲からは離れてしまいますからね。
大相撲ファンとしてはちょっと嬉しかったです^ - ^
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さて、昨日は仕事ってどういうことだ? というのを考えていました。
もう誰もが何度も語っていることでしょうけど、僕たち自身の理解はどうだろう? ということでしたね(たぶん)。
現実には「仕事」というものはおそらく存在していなくて、
例えばバットを振るとか、キーボードを叩くとか、相手と話すとか、掃除機をかけるとか、操縦するとか、彫るとか、お茶を淹れるとか、
そういう無数の具体的な行動があるだけなんじゃないだろうか?
というところまで来ました。
僕はいま仕事します! と宣言しても、
……ええと、何をするの?
という反応になりますしね(笑)
そういう反応にならないときは、何かを前提にしていたりしません?
そこで、じゃあ仕事っていう言い方をするのはどういうときだろう? という疑問が浮かんだわけです。
皆さんはどう思いますか?
もちろんこれは別に答えがあるわけではありません^ ^
ひとまず僕が思いついたことを書いてみますね。
・まず、自分が「仕事をしている」と思うとちょっと誇りのような充実感のような感覚があるでしょうか。
安心感もあるかもしれません。
・二次会に誘われたとき、「明日、仕事なので」と断るとラクな人も多いでしょう。
・夫や妻とケンカするとき、「自分は外で仕事してんだぞ!」と言い放つこともあるかもしれません。
・日曜日、「明日仕事だな〜」と思うとちょっと憂鬱だったり(笑)
・早く仕事探さなきゃ! と思うとか。
……と、挙げてみた例の中でも、同じ仕事という言葉の意味合いが微妙に異なっているようにもみえますね。
でも、なんだか同じような意味も含まれているのもわかります。
ん〜、何というのでしょう。
自分が取り組むべきもの、拠りどころとするもの、しかし不満もあるもの……
その奥にあるのは、何となく自分を確かめるというか、根拠づけるものという感じでしょうか?
自分の価値でしょうか。
特にこれをやりたいことがなく、仕事をいろいろと変えてみているという方も、仕事をするということ自体は選択していますよね。
(もちろんさまざま環境の影響などはあるでしょう。)
学生の方も、高校や専門学校までは、学業という形で、上の例と同じような感覚を持っている人もいるかもしれません。
いったい、仕事とはどういうものなのでしょう。
これは本当に自分なりに考えなければならないことだと思います。
自分がどのような意味を「仕事」というものに与えているか。
それが自分や周囲、人間同士、どんな影響を与えあっているのか。
それによって自分が物事をいかに捉えているのか。
他の人はどうなのか。
こういう点を常に理解していくことが大切ではないかと感じたりします^_^
以前の記事でも触れた、本当にやりたいことというものとも関係してくると思いますし。
上手いことを言うなら、
仕事と思わないで行うことこそ、真の仕事である、
なんて表現も成り立つかもしれませんね。
今回はかなりクエスチョンのままで終わってしまいますが、皆さんもいろいろと考えてみてくださいませ(^^)
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……ということで、本日もお読みくださいましてありがとうございます^ - ^
学問として今日の話題を検討するなら、もう終わりがないほどにさまさまな考え方ができると思います。
ですが、いまこの場で生き、行動しているのは僕たち自身ですから、外からの知識をあてはめるよりも、自分が本当にどう感じているかを確認することが大事だと思うんです。
そのためには、クエスチョンで終わらないとダメとさえいえる気もします。
そんな思いから、今回の記事は書いてみました^_^
それでは、今日はこの辺りで失礼します。
本音対話も懲りずにずっと募集しています^ ^
本音対話の例を示したらよいということもあるかもしれませんが、ブログという公の場で書くのもちょっとどうだろうとも思っています(笑)
とりあえずは、以下の記事をご覧くださいませ。
また次回お会いしましょう!
ソスク