「いまから家族として接しましょう」と言ったことってありますか?
皆さんこんにちは、ソスクと申します^_^
毎年思うのですが、年末年始も過ごし方はいろいろですよね。
ウチの家族はたぶん昔ながらの感じに近くて、年末に実家へ集まり、普段食べないような美味しいものを食べ、テレビを見て、そしてまた日常へ戻ります。
ニュースとかでは年末年始に旅行する人もかなりいて、おお、いいな〜と思ったりします(^.^)
年末年始ってその家族の色というか雰囲気が表れやすい機会なのかもしれませんね。
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それで、昨日からの流れで前々回の記事の
②他人の範囲ってどこからだろう?
という疑問につながったのですが、皆さんはどう思いますか??
まずは感覚的に見てみて、それから論理的にはどうかなぁという方向でも検討してみましょうか^ ^
感覚としては、やっぱり家族とか血のつながり、親戚とかそういう辺りまでが、他人ではなくて身内というところでしょうか。
皆さんはどんな感じです?
これも普段はあまり意識しないところかもしれません。
でも、例えば学校の友人の家に遊びに行ったりしたら、かなり明らかに他の人の家っていう感じがしたという方も多いでしょう。
そういうときって、妙に「お邪魔します」と言わなきゃ言わなきゃと思ったりしませんでした?
人によりますかね(^.^)
年末年始でおじいちゃんやおばあちゃんの家に行くときとか、小さい頃はあまり気にならなかったけど、大きくなってきたら何かちょっとよその家の感じがする……とかもあったかもしれません。
あと、恋人とお付き合いの経験や、結婚の経験がある方ならば、最初の告白があってから付き合って期間が短い間はお互い気を遣ってやり取りしますよね。
すごく大切な他人(?)というような感じじゃありませんでした?
それが、関係する時間が長くなると、もういつの間にか(結婚の有無に関わらず)家族みたいな気持ちになりますよね。
「いまから家族として接しましょう」と約束しなくてもそうなる気がするのが不思議です(笑)
そういえば、養子縁組の経験がある方はこういう言葉を言ったこともあるかもしれませんね。
でも、やっぱり家族みたいな気持ちになるのはその言葉によってではないような気もします。
そうすると感覚的には、もともと育った環境とか、一緒に過ごすことにした相手同士とか、そういう点について自然と身内感が生じてくるのでしょうか。
そして、そこを境い目にして外の人が他人という感じになるのでしょうか。
それでは、理屈的にはどこから他人だということになるのでしょう。
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……というところなのですが、今日は少々目が疲労したみたいです(笑)
続きは次回ということでよろしくお願いします(^^)
今年もいよいよ明日でおしまいですね。
皆さんもお元気に、楽しくお過ごしください。
何でも本音で僕に向けて語ってやるぜ! という本音対話は、いつでも募集しています(^.^)
以下の記事をご覧ください。
それでは、失礼しま〜す。
ソスク