人類って当たり前??
皆さん、こんにちは。
ソスクでございます^ - ^
皆さんて散歩はよくするほうですか?
健康のためやトレーニングのためという方も多いかと思いますけど、ただぶらぶらするという方もいるかもしれません。
僕の場合、ぶらぶらするつもりで出かけるのですが、いつのまにか気合いが入ってビシバシ歩いてしまいます(笑)
小さな用事でも遠くのコンビニに行くことにして、あえてぶらぶら散歩の機会を作っているのに、結局そのコンビニしか行かなかったりして(^_^)
もうちょっといろいろ眺めながら歩きたいものです。
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さて、昨日は
「人類ってどんな感じ?」
と題して、人類の性質や特徴について考えてみました。
いつものことなのですが、必ずしもこれだという答えには至りませんでしたね。
ただ、結局、人類というものは、この僕や皆さんひとりひとりそのもの以上のものではないのかもしれない、という感じもしました。
なので、この流れの最初に掲げた視点を進めてみて、また何か見えてくるかやってみましょう。
では、
②皆さんが人類であることを実感するのはどんなときですか?
自分(たち)って人類なんだなぁ、と実感するという場面というと、どういうものでしょう。
小説やマンガ、アニメなら、異星人が登場してきて、それに対抗する人類という形で実感しやすいような気もします^ ^
ガンダムとか宇宙が舞台になるアニメだと、かなり人類という言葉が使われたり、その姿が描かれたりすることもあります。
でも、それは異星人(とか神とか?)に対置して人類を感じているということではないでしょうか。
しばしば共通の敵ができると同胞意識は高まると言われますけど、それと同じことが起きているだけのようにも思えます。
地球の外で大問題があるので、地球に住む人類同士で対立している場合ではない。
人類として協力しなくては! という感じでしょうか。
これは今ある各国の枠組みと同じものですよね。
アメリカの外には敵がいるので、アメリカ人として団結する! 日本防衛のために日本人として立ち上がる!
現代の集団安全保障の考え方もこういうものだった記憶があります。
普段から各国間でつながりを密にするのはもちろんながら、誰かが問題を起こしたら、他の国々は国の垣根を越えて団結してその問題児に対処する。
(正確なところは調べてみてくださいね^_^)
つまり、ガンダム的な感覚だと、自分が日本人だ、国連加盟国だ、というのと同じ発想で「人類」というのを感じているということになりそうです。
では、僕たちが人類であることを実感する道はこれしかないのでしょうか?
皆さんはどう思いますか?
他には、たとえば環境問題について見聞きしたり、関心を持ったりするときでしょうか。
人間がいろいろ排気ガスやゴミを出して、森林を破壊し、大気を汚染し、地球の環境が悪化している、シロクマが溺れ、クジラが死ぬ、小さな子も命を落とす……
そういうことをみると、僕たちひとりひとりが人類としてきちんと心がけなきゃいけないな、と思ったりします。
ですが、これもよくよく見てみると、あくまで人類の活動の「結果」を体感しているだけではないでしょうか。
自動車事故を起こして、「あぁ、自分がこの事故を起こしてしまった……!」と青ざめるのと同じではありませんか?
比喩が不適切という可能性はありますけど、こういう事故を起こした感覚と、運転している感覚は明らかに異なるような気がするのですが、いかがでしょうか。
この比喩から引っ張ると、環境問題を引き起こす前段階というか、普段生きて活動している僕たちの感覚がそのまま人類感(またまたこの表現でよいのでしょうか笑)なのでしょうか?
僕たちが人類であることは車の運転よりも当たり前なので、特に何も感じないのでしょうか?
そうすると、「人類」とはやはりなんなのでしょう?
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今日もお読みいただきありがとうございました(^^)
また、いつもふんわり終わってしまうのに、お付き合いいただいて本当に感謝しています。
ところで「刻が見える」って何を意味してるかご存知の方いますか?(笑)
宇宙の本質とかそういうものの感じがする……。
ガンダムも深いところがあるんですよね^ - ^やはりこれだけ人気なのもそういう深みがあるからかもしれませんね。
本音対話も募集中です!
もしよろしければ、以下の記事をご覧くださいませ。
それでは、失礼します(^ ^)
ソスク