どんな世界もあなたから

人が共に仲良く暮らし、この世界をいかに生きるかを楽しく考えていくブログ。子どもも大人も大歓迎です。

★一緒に楽しみの輪を広げていきませんか^→☆
人気ブログランキングへ

もう一度、人類って…(完)

★こちらにもボタンを設置しました! チカラをお貸し頂けたら幸いです(^.^)
人気ブログランキングへ

 

皆さん,こんにちは(^^

 

 

皆さんは「モーニング・ページ」って知ってますか?

 

朝,起きぬけにノート3枚分くらい,ただ頭に思い浮かんできたことを書き留めていく,というエクササイズのことです。

 

 

創造性を高める,深いところの自分とつながるとか,いろいろ有効らしいですよ(^^)/

 

僕もしばらくやってみてるんですけど,なんというか頭と心がちょっと風通しよくなったような,そんな感じがしてます。

 

 

『ずっとやりたかったことを,やりなさい。』ジュリア・キャメロン(サンマーク出版

 

 

という本でこの方法が紹介されていますので,関心のある方は一読なさってみてくださいね!

 

クリエイティブ系のお仕事をしている方にも好評のようです(^_-)-☆

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 いよいよ今日は「人類」トーク(笑)の最終日です。

 

いちおういったんこの流れに結着をつけるつもりで,今日は進めていきたいと思っております。

 

(始まりはこの記事です↓)

 

soskksos.hateblo.jp

 

それで,昨日まで,いくつかの観点に分けて「人類」というものにアプローチしてきたのですが,皆さんはどのように感じましたか?

 

 

結局,抽象的すぎて特にどうということもない,

 

ごくごく限定された部分しか取り上げていないのではないか,

 

そもそもおまえ(僕のことです)も何もわかっちゃいないだろう,

 

 

など,いろいろ感想があるかもしれません。

 

とはいえ,そういった体験を数日間ご一緒させていただいた後で,今日はひるがえって最後でありスタート地点でもあるポイントに入ってみましょう。

 

 

⑤改めて,「人類」とは何でしょうか?

 

 

これまで見てきたことをざっとまとめてみると,

 

 

①「人類」の性質・特徴を語るうえでは,僕たちひとりひとりの性質こそが「人類」の性質・特徴だとみるしかないのかもしれない,

 

 

②「人類」であることを,何か他の種族と比較せずに実感するのは難しいのかもしれない。

 

それは,僕たちにとって「人類」であることが当たり前だからだろうか,

 

 

③僕たちは自分の国などに愛着を持つが,「人類」であることに愛着を持つことはあまりないかもしれない。

 

また僕たちはいろいろな役職に就き機能を果たすが,「人類」を何か役割・機能を指したものとして理解するのもどこかおかしい,

 

 

④「人類」の願いというものは,結局,僕たちひとりひとりの願いに他ならないのかもしれない,

 

 

……というようなところでした。

 

 

こうしてみると,やはり「個人」としての僕たちひとりひとりが,そのまま,何の媒介もなしに,「人類」なのだ,ということなのかもしれません。

 

これはたぶん,かなり大きなことだと思います(*^_^*)

 

 

僕たちが人と話すとき,人類が人類に話しているのです。……なんかこう書くと変な感じもしますけど(笑)

 

 

付け加えて,目を向ける点の大小・幅というのを考えてみてもいいかもしれません。

 

 

つまり,僕たちひとりひとりは「個人」として存在し(ここの部分についても,以前の記事で入ってみたことがありましたね),これらが地球レベルでまとめて把握されるとき,それは「人類」なのだと思います。

 

 

もし地球上の誰かひとりの人間でも落としたうえで「人類」を語るなら,それはたぶん話の筋がおかしいでしょう。

 

そのような語り方は,この人はA国人で,こちらはB国人,いまはA国人について考えるよ,というのと同じことを知らぬ間にやっていることになる気がします。

 

人類というからには,(言葉が循環しますけど笑)人類すべてを,つまりすべての「個人」を含まなければならないからです。

 

 

この「知らぬ間に」というのがなかなかミソであるように僕は感じるのですが,皆さんはいかがですか?

 

 

つまり,僕たちは知らぬ間に自分や他の誰かを「人類」から外してしまっているような気がしませんか?

 

 上司や友人,道を行く人,どこか遠くの人,政治家,東電幹部,貴乃花親方,トランプ大統領,リアーナ,千原ジュニアにゃんこスター,いま事故に遭った人,生まれる前の人……

 

 

と,思いつく限り皆さんも挙げてほしいのですが,

 

こういうみんなすべてが人類であるにもかかわらず,僕たちが語り,行動するに際して,知らぬ間にぽろぽろと念頭から落としてしまうのではないでしょうか?

 

 

そして,どのひとりの人間も落とさないで僕たち「個人」が生きるとはどういうことでしょう。

 

……う~ん,僕たちひとりひとりが「人類」として生きること?

 

 

頭で抽象的に考えるだけでは言葉遊びに過ぎないかもしれませんが,少しでも心のどこかで「誰もが人類だ」ということを感じ取るならば,日々の生活の見え方も変わってくるような気もします(^◇^)

 

 

人類」とは,

 

 僕たちが,あらゆる人を自分と全く同じ存在だと理解する「こと」そのもの

 

 なのかもしれませんね。

 

 

逆にそうしてこそ,「人類」というものが存在しうるともいえるでしょうか。

 

 

皆さんはどう思いますか?(^^)

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

本日もお読みくださってありがとうございました!

 

そして,面倒なお話にお付き合いいただいて,本当に感謝しています!

 

 

自分の中で最長の連載になりました(笑)

 

別に何か見つけたというのでもないのでしょうけど,ちょっと達成感があります(*^_^*)

 

これもやはり,皆さんに読んでもらいつつ考えていくことができたおかげです。

 

 

これからもいろいろなテーマについて書いてみたいと思っておりますので,今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

 

 

本音対話ももちろん募集中です(^^)

詳しくは以下の記事をご覧くださいね。

 

soskksos.hateblo.jp

 

それでは,今日はここで失礼します☆

 

ソスク