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「自分」を強く感じるとき

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皆さん、こんにちは。

 

ソスクと申します^_^

 

 

皆さんは夜寝るときに何か必ずやることってありますか?

 

ストレッチで身体をリラックスさせるとか、低めの温度のお湯に浸かるとか、一杯お酒を飲むとか。

 

 

僕はストレッチをごく軽くやったりはしますけど、なかなかお風呂は入りません。

 

もっと前に入っちゃっているからというのと、どうも昔からのクセで食事の後にお風呂が来るというのが若干ニガテなんですよね(笑)

 

お腹に食べ物があってお風呂に入ると、お腹張る感じしません?

 

 

……急にどうでもいいお話をすみません(^^)

 

 

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今日は何を書こうかと考えていたのですが、また戻って「自分」というものを考えることにしましょうか^ ^

 

 

しばらく前の記事で、自分とは何だろうということで、いくつか疑問を出しましたよね。

 

 

数日前まで、この記事で出てきた疑問に取り組んでいたのですが、今日はその4つ目に進んでみましょう。

 

 

皆さんは、

 

自分というものを強く感じるのはどんなとき

 

でしょうか。

 

 

・何か目標にしてがんばってきたことを達成したとき?

 

・誰かとケンカしたとき?

 

・告白されたとき?

 

・ 自分の勉強や仕事の業績が判明したとき?

 

・新幹線で予約した席に誰かが座っていたとき?

 

 

この疑問の立て方は「他人」について考えたときにも用いましたよね。

 

どんなときに感じるかはもちろん人それぞれだと思うのですが、

 

 

(……なぜ「人それぞれ」なのでしょう?

 

よし、当たり前すぎることなのかもしれませんけど、また今度検討する素材にしよう笑)

 

 

どういう風に「自分」を強く感じるでしょうか?

 

感覚的にいかがですか?

 

その感覚を具体的に捉えられるでしょうか?

 

 

僕個人としては、何か考え事をごちゃごちゃとしているときに、けっこう「自分感」(またこの表現でいいのでしょうか笑)があるのに気がつくことがあります。

 

オレが考えてるぞ〜っていう感じがするんですよね。

 

 

あと昔の経験であったのは、学生の頃演劇の授業かなんかで役を演じたときに、「演じる行為をしている」自分というのを感じた覚えがあります。

 

でも、ときおり耳にしますけど、確かに役に入りきれば入りきるほど自分感はなくなるような気もします。

 

この身体とか口とか顔が動いているにも関わらず。

 

皆さんもそんな経験ありません?

 

 

上で挙げてみた例もちょっと検討してみましょうか。

 

 

・目標を達成したときに自分感がある場合、それってどんな感じでしょう?

 

 

まずその瞬間(合格発表の掲示を見た、試合の終わりの笛が鳴った、相手の「参りました」などなど)はどんなでしょうか?

 

 

たぶん最初に 合格した! 勝った! などの認識が起きますよね。

 

かなり微妙なところなのですが、このとき、いきなり「オレ(達)が勝った!」と思うのでしょうか。

 

それとも、まずはただ「勝った!」でしょうか。

 

いかがですか?

 

 

それで、そういう気持ちの後、これまでの努力のことや仲間との関わりが思い出されて、自分が達成したことが実感されるのでしょうか。

 

そういえば、この「実感」というものも以前に出てきましたよね。

 

実感こそが自分なのか、とかも考えたんでしたっけ。

 

 

それから、この実感がだんだん定着していって、自分の一部になっていく……というようなところでしょうか。

 

折に触れて思い出したり、話を振られたりして、「自分がそれを成し遂げたんだ」という理解になっていく感じ……?

 

 

・予約した新幹線の席に、誰かが座っていたらどんな感じでしょう?

 

 

あれ誰か座ってる? とか、そこはオレの席だ! とか思うかもしれませんね。

 

でも、その座席自体は(たぶん)JRのものですから、その座っている人のものではないですけど、自分のでもありません。

 

にもかからず、上のように思ったのはなぜなのでしょうか。

 

 

僕としては、その座席を予約したとこちらが考えたからだと思うのですが、皆さんはいかがですか?

 

ここでも、僕たちは自分で世界を作っているというか、

 

ある電車の何号車何番席というものをみんなで作り出して、そこを誰々に割り当てる、という仕組みを作って、お互いに合意して動いている、

 

みたいな感じがします。

 

 

「自分」というものは、こういう割り当てを受けるための概念だという面もありそうですね。

 

そして、自分に割り当てられた(と考える)ものが奪われたりすると、僕たちは気分よくありません。

 

ここでもやはり自分の割り当てを強く感じるに際して、他の人は別のあの席だという形で、他人という存在が前提となっていますね。

 

 

それじゃあ、他人がいない場面で、自分というものがどのように感じられるのか、次回は検討してみましょうか^_^

 

 

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お読みいただきありがとうございました^ - ^

 

 

今日の記事の最後の部分なのですが、ブログ上でうまく保存できず、一度書いたものが消えてしまいましたσ^_^;

 

ブログあるあるですね(笑)

 

新たに書き直しましたが、その場その場で話の流れで書いているので、なんか違和感があります。

 

これからは気をつけなければ^ - ^! 

 

 

本音対話を募集しています。

 

詳しくは以下の記事をご覧ください。

 

soskksos.hateblo.jp

 

それでは、失礼します^ ^

 

ソスク