「本当に」やりたいことをやるということ
こんにちは,皆さまクリスマスはいかがお過ごしですか?
フライドチキンってすごく食べたくなりますけど,サクサクの熱々で食べないと,想像となんか違う感じで終わりますよね(笑)
そんな体験を今年もしてしまったソスクと申します。
こういう前書きがあった方がその後の筆も進む気がします。不思議です。
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前回は自由ということについて考えてみて,「自由」と呼べるような状態というのは,実は自由ではないのではないか?
少なくともその一部分しか把握できていないのではないか? というようなところまできました(たぶん)。
そうすると,自由というものをまた別な言葉で言い表してみても,結局同じことになってしまいます。
何かの出来事やあり方をみて,その別な言葉に当てはまるかを確かめてみて,YESなら自由だ,という判断になるわけですから。
ここで堂々巡りというか,いたちごっこです。
なので,前回も書きましたが,僕たち自身の体感というか腹で理解するというか,そういう方向で自由「と呼ばれうるもの」を探れないかな~と思ったわけです。
で!
とりあえず「自由」については,今のところ,この方向で探っていくということでいったんストップしたいと思います。
つまり,自由について記事を重ねていくのではなく,新たによい発想が浮かんだときなど,その都度皆さんにお伝えするようにしたいと思います。
皆さんからもいろいろな考え方,体感をお聞きしたいところです。
(おかしな表現かもしれませんが,こんな風にどうもよくわからないけど考えてみよう,見てみよう,ということができるということ自体が「自由」なのかもしれませんね。)
そこで,前置きがとても長かったのですが,今日の本題としては,最近僕が考えているなかでこれが一番の真理じゃないかというのをメモしておきます。
それは,他にもたくさん同様のことを述べている方はいらっしゃいますが,
「本当に」自分がやりたいことをやる
ということです。
これについては賛否両論があると思います。基本的には賛成だけど,そうばかりも言ってられないでしょ,というのが多くの方の印象でしょうか。
僕自身も,成長するなかで,手に職をつけなさいとか,将来の生活が安定する仕事につきなさいとか,一生仕事できる資格を取りなさいとか,いろいろと親や先生に言われて育ちました。
一流の人(スポーツ選手やアーティストなどなど)は,才能に恵まれていて,ものすごく努力したからああなれただけであって,誰もがそうなれるわけではない,お前はそんなに才能があるわけでもないし,堅実に生きなさい。
こういう言い方を(あるいはこれを前提に)されて育ってきた人も,昔よりは減ってきたと思いますが,まだまだ圧倒的多数といってよいほど多いのではありませんか?
でも,よく考えてみると,僕たちはみんないろいろな要因が重なって生まれてきていますよね。
先祖には何か職人だった人もいるでしょうし,運動選手だった人もいるでしょうし,狩人?だった人もいるかもしれません。
画家や作家,武士,俳人,ものまね士(これはギャグですが笑),,,,,他にも無数にあるでしょう。
別に職業として何かだったというわけではなく,これこれの特徴を持った人間だったということもあるでしょう。
そういう性質が,たくさん混ざり合って,祖父母,両親ときて,いま,僕たち自身のそれぞれに流れ込んでいるわけですよね。
もちろん環境の影響も受けたりしながら。
だから,同じ育て方でも違うように育ったり,その逆もあったりするし,同じものを見てもみんなさまざま違う感じ方をする。……
そこで,また自分にも質問しつつ,皆さんと考えたいのですが,
そんな風に無数の,無限の要素の組み合わせから成り立っている僕たちが,いま社会にある一定の形の職業を目指していくのは自然でしょうか?(ちょっとラディカル)
もちろん,それが「本当に」やりたいことだと自分で思えるなら,とても素敵なことで,それこそ恵まれているでしょう。
おそらく皆さんも経験があったり,いま経験しているかと思いますけど,本当にやりたい仕事なんてそうそう見つからないでしょう?
別な問い方をすれば,僕たちに流れこんで,いまの僕たちとして表現されている性質,要素,色というのは,パターンや枠組みに収まるものなのでしょうか?
それとも,刻一刻と変わって,いろいろな現れ方をするはずのものでしょうか?
ここで,今日の命題の「本当に」というところがポイントになる気がしてきません?
なんだか展開が押しつけがましいようで申し訳ないのですが,いま僕が感じているのは,この「本当に」というところの幅が本来はもっともっと広いのではないかということです。
つまり,野球選手や作家やアーティストやプログラマーや政治家や弁護士や消防士やアパレル業界やお坊さんやサラリーマンや……
そういうのももちろん素晴らしいですけど,僕たちが「本当に」やりたいことを考えると,これらに当てはまらない場合がもっともっと多いのではないでしょうか。
そもそも職業という形で把握する必要があるのでしょうか?
そして,そういった自分たち自身の感覚を大切にした方がよいのではないか,という含意です。
たいてい僕たちは,本当にやりたいこと,と言うときでも,生計や周囲の目線などの観点から選んでしまうのではありませんか?
または,テレビやコンサート,競技大会とかで目にしたスターに憧れて,そのような人を目指して道を選択してしまうのではありませんか?
これらの選択の仕方がいけないというのではありません。
そうではなく,それが本当に自分のやりたいことだろうか,自分に嘘をついて,自分を説得していないだろうか,
さらには,自分の特質を直視せずに自分以外のものになろうとしていないか,ということなのです。
なら,どうしたらいいの!? というお怒りの言葉も聞こえてきそうです。
それを僕たち自身で,「本当に」考えていきませんか?
放り出しすぎとお感じになる方もいらっしゃると思いますけど,そこに自由も生まれてくる気がしたりしなかったりなのです。
そして,各自がこういうことをしっかりと考えて,「本当に」自分なりに生きていくようになれば,明らかに世界は変わる気もしたりしなかったりです。
(現実にどうやって「本当に」やりたいことを見出していくかということについては,やはり自分自身によく問いかけてみるしか方法はないように思います。
そして,自分をだましてしまわないためにも,やりたくないことは基本的にやらないということも大事でしょう。)
このことについてはまた書くかもしれません。僕も見出し中ですから(笑)
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本日もお読みいただき,どうもありがとうございました。
一番の長文になってしまったかもしれません。しかも一見,現実味の薄いことを書いてしまったでしょうか。
でも,実際にこういう発想で生きている方はすでに間違いなく存在します。
結局は,僕たちが自分自身に流れるものをよく理解するということなのでしょうか。
例の本音対話については,もちろん募集しています。
「本音対話」については,以下の記事
を参照してくださいね。
それでは,このあたりで失礼します!
よい年末をお過ごしください。
ソスク