お母さんにモテるにも条件が??
皆さん,こんにちは(^◇^)
今日は節分ですね。
豆まきをするときに使う豆って,地域によって差があるんでしたっけ?
落花生を殻付きでまくところもあったような?
でも,一番多いのはやっぱり大豆の煎ったものでしょうか。
それで,まいた後の豆を部屋中から探し出して,あるいは探しつつ見つけ次第,食べるんですよね(笑)
ほこりが付いたのはやめたり。
そうそう,年の数だけ食べるのか,年にひとつプラスして食べるのかも地域によってちがうみたいです。
で,豆が汚れるのが嫌なので,僕は自分で豆まきをするときには,袋のまままくことにしましたよ(笑)
小分けのものとか,場合によっては買ってきた煎り大豆の袋を大袋ごと投げたりします。
……なんて横着なんでしょう(;^_^A たぶん神事なのに。。。。
やっぱり豆そのものをまきましょう!
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さて,昨日はまた新たなトピックに入っていましたよね。
僕たちが,モテることとかその他のたくさんのことについて,いろいろ条件や前提をつけて考えてしまうのはどうしてだろう,ということでした。
皆さんはどう思いますか?
僕が可能性として思いつくのは,
①小さいころから「課題とごほうび」という形に慣れ親しんできたから
②昨日挙げたような,「頭がいい」とか「かわいい」とかが当てはまるような人が,実際にモテているのを見てきたから
③電車に乗るためには運賃が必要,それと同じことだ
④僕たち人間の脳みそ,精神の仕組みが,そもそもそういう構造だから
……あとは何でしょう。
もしまた思いついたらそれも検討してみましょう(^^)/
皆さんも何かありましたら教えてくださいね。
それで,いまいくつか挙げてみたものの,実際どうなのかはこれだけじゃわからないので,やっぱりひとつずつ見てみましょうか。
では,
①小さいころから「課題とごほうび」という形に慣れ親しんできたから,僕たちはモテるのには条件が必要だと思うのでしょうか?
育った環境は本当にいろいろだと思うので、皆さんも自分の小さいころを振り返りつつ、少し一般化して考えてみてくださいね。
僕たちは、生まれてからしばらくはよく泣いたり、所構わずうんちしたり、手足バタバタしたり、口からこぼしたりしまくってきました。
それを、育ててくれた人(とりあえず、お母さんとしておきましょうか)がいろいろ始末をしてくれたのだと思います。
でも、ずっとその調子でいられたら僕たち自身も含めてみんなが困ります(笑)
なので、トイレとかご飯の食べ方とか、もう少し大きくなれば挨拶の仕方やお手伝いの仕方とかを、お母さんは僕たちに教えるようになります。
このときに、ただ教えるということもあるでしょうけど、ごほうびを示すっていうことも多くおこなわれるように思うのですが、皆さんはいかがですか?
そして、教えられたことを僕たちがきちんとできたら、
「いい子だね〜^ - ^」
と褒められて、お菓子とか野球のグローブとか任天堂のswitchとかをくれるわけです。
逆に、とてもツライことですが、しつけというか教育がきついおうちでは、
「いい子にしてないとご飯あげない!」
と強く言われたり、実際にご飯を与えてもらえなかったりもします。
これが行きすぎると虐待ということになりますよね。
これらに共通しているのが、
ごほうびやご飯をもらうためにはこれこれをしなきゃならない、
という仕組みではないでしょうか。
そして、失敗すれば、本当にごほうびやご飯がもらえないかは別にして、感情的にどうかというところも別として,
条件を達成できなかった、〇〇がもらえないかもしれない
という気持ちになるような気がします。
こういう教えやしつけのあり方に適応するなかで、僕たちが物事には条件や前提があるという発想を身につける、というのもなかなかありうるお話に思えます。
ん〜、僕としてもまさにそんな気がするのですが、いっぽうで、それだけなのかなぁという疑問があるのも事実なんですよね。
どうなんだろう……?
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やや尻切れなのですが、ちょっと今日はこのくらいにさせていただきますね^_^
また続きを次回進めてみましょう。
(実は今日は時間があまり取れませんf^_^;)
本音対話も募集中です(^^)
よろしければ以下の記事を確認してみてください!
それでは、失礼しま〜す^ ^
ソスク